、おはよう」

目が覚めると決まってわたしのベッドに腰をかけている。
わたしに声をかけて右手でわたしの頬、髪を撫でるように触れてくる。
身体を起こすと優しく抱きしめられる。
怖い夢は見なかったか?よく眠れたか?
と、わたしに問いかけながら。
不思議と嫌悪感はなかった。
彼があまりにもわたしに優しく触れるから。
最初はやっぱり驚いたけど、ここへきてから毎日同じ事が繰り返されていてさすがに慣れてきた。
ここへ来てもう2週間。
わたしはまだ一度も血を吸われていない。
ここの生活はなにひとつ不自由しなかった。
この大きなお屋敷には8人の吸血鬼が住んでいる。
みんな男の人だ。
わたしと同じように生贄としてここに連れてこられた女の人も何人か居る。
みんなとても優しかった。
生贄として連れてきたと言われたときはどうしようかと思ったけど、想像していたものと全く違った。
ここに居る女の人たちは生贄というよりはパートナーと言った方がしっくりくる。
今まで吸血鬼と聞くと見境無く人間の血を吸っているイメージしかなかったけどそんなことはなかった。
現にわたしはここに来て2週間血を吸われていないし求められてすらいない。
一人だけ生贄を選んでその人の血しか吸わない吸血鬼がここでは多いらしい。
もちろん特定の人と決めない人も居る。
でもそういう人はお屋敷に人間を連れてくることはないって聞いた。
だからこのお屋敷に居る女の人は誰かしらのお気に入りであり、パートナー。
というよりも恋人。

だから、すごく複雑だった。
わたしには婚約者が居る。
最近知り合ったし、手も繋いだこともないくらいなにもしていないけど。
好きだと意識したこともないけど。
でも、これでいいのかな。とかうまく説明出来ないけどとにかく複雑だった。
柳さんを好きになればいい、きっと好きになるってお屋敷のお姉さんに言われた。
確かにそうなるかもしれない。
柳さんに触れられるのも、抱きしめられるのも嫌じゃないし、ドキドキする。
いつもわたしを心配してくれるし、すごく優しくしてくれる。
けど、抱きしめられる度、名前を呼ばれる度に思う。
この人は本当に「わたし」が好きなのかなって。
これは柳さんに限ったことではないし、吸血鬼の人だけではなく、生贄のお姉さんたちからも感じる違和感。
まるで昔からわたしのことを知っているかのように接してくる。
わたしの記憶にない思い出話をされることがある。
まるで自分がもう一人居るかのような感覚でゾッとする。
「わたし」を通して別の誰かへ話しかけているみたい。
それとなくそのことを聞いても誰もなにも教えてくれなかった。
だからもうその違和感を感じても、なにも聞かなくなった。
わたしはこれ以上柳さんに近づくことを諦めた。

「なあ、今日はなにする?」
「。日はね、柳さんにハーブティを淹れてあげる約束したからハーブ摘んでくる」
「出たよ、ハーブ。お前ほんと昔からハーブ好きだよな」

また、違和感。
わたしはここに来てからハーブなんて昨日柳さんと話したときくらいしか口にしていない。
ハーブが好きだったらしいわたしは。
わからない。

「なあ、かくれんぼは?」
「ハーブだもん」

このお屋敷に来てからわたしは目の前に居る黒髪癖毛の切原赤也くんと柳さんの次に一緒に居ることが多い。
人間の年齢で言うとわたしと同い年らしい。
ちなみに他の吸血鬼の人たちは赤也くんよりも年上だって聞いた。
あくまで人間の年齢で同い年だから外見年齢が同じっていうだけ。
吸血鬼は不老不死だ。
だから、もう彼らは何百年という月日を生きている。
そして生贄のお姉さんたちも。
体内時計を止められているらしく、歳をとらないらしい。
驚いたけど、わたしの体内時計ももう止められているって言われてさらに驚いた。
全然実感はないけど、わたしはもう歳をとらないらしい。
そんな感じでここでは年齢とかそういうものがぐちゃぐちゃだ。
でも赤也くんとわたしはみんなの年下として扱われている。
そんな同い年意識からわたしと一緒になって遊んでるんだと思っていたけどそれも違ったみたい。
「相変わらずお前等は仲良いな」って丸井さんに言われた。
そう、みんなの言う昔のわたしが赤也くんと仲が良かったらしい。
違和感ばかりが邪魔をする。

「温室じゃなくて外行こうぜ!外!」
「わたし、柳さんに屋敷から出ちゃダメって言われてるから」
「大丈夫だって、ちょっとくらい」

外のハーブの方が美味しいって誰かが言ってたぜ!なんて言いながら腕を引かれる。
ここへ来てからわたしは外に出ていない。
お屋敷の敷地内から出ると止められている体内時計が元に戻ってしまうっていうのはお姉さんたちから聞いた。
それは建物の外という意味ではなく、お庭の向こうにある大きな門の外という意味。
だからお姉さんたちはよくお庭のお花を摘みに外に出たりしている。
でもわたしは何故か柳さんに屋敷の外から出ることを禁じられている。
昨日ハーブティを淹れると約束したら温室でハーブを育てているからそっちに行くように言われた。
柳さんにはダメって言われてるけどやっぱり外もちょっと気になる。
赤也くんの言うとおりちょっとなら大丈夫だよね。
外へ出る扉の前で赤也くんは一度だけ止まって悪戯っぽく笑った。
わたしも頷いて二人で扉をあけて外へ出た。

辺り一面に広がったお庭はお花が満開。
ハーブはどこだろうって呟くと俺はハーブわかんねえってぽつりと言われた。

「あ、いや。知ってる。ハーブの場所」
「ほんと?」

とりあえずハーブを探す前にちょうどすぐそばに薔薇が咲いていたから薔薇も摘んでいこうとそちらに手を伸ばしたときだった。
赤也くんが何だか難しい表情で口ごもっている。
どうしたの?って聞いたら少し顔を逸らされた。

「いや、だって。お前が殺された場所じゃん」

ビクッと身体が震えた。
思わず薔薇を持つ手に力が入ってしまう。
一瞬フリーズしそうになった頭が指に走ったチクリとした痛みで返ってくる。
殺された。
どういうことだろう。
昔のわたしは殺されたの?
もう、死んでるの?
じゃあ、なんでみんなはその死んだ人とわたしを重ねているの?
死んだってわかっているのに、どうして。

「血の臭い。なに、切ったのかよ」

赤也くんが近づいてきてひょいっとわたしの左手を取った。
人差し指から血が溢れていた。
そっか、吸血鬼だから血の臭いに敏感なんだ。
そのまま赤也くんの手に誘導されて口元へわたしの指が近づいていく。
赤也くんがそっと口を開いたそのときだった。

!」

お屋敷の扉が開いて柳さんがわたしの名前を呼んだ。
思わずそちらに顔を向けるとわたしの視界は真っ黒になった。
ぎゅっと抱きしめられて「探したぞ」って言った柳さんは少しだけいつもより鼓動が速い。
お屋敷の中を探し回ってくれてたのかなって思ったらなんだか途端に言いつけを破った罪悪感が襲う。
少しだけ、ほんの少しだけ柳さんの服をきゅっと握ると柳さんは優しい表情でわたしの頭を撫でて離してくれた。
「部屋に戻って傷の手当てをしなければいけないな」
そう言って。

「柳さん、俺」

赤也くんの声がして柳さんは赤也くんの方へ振り返った。
途端に赤也くんが脅えたような表情に変わる。
わたしから柳さんの表情は見えないけど、後ろ姿だけでもわかる。
この威圧感。
瞬きをした隙に変わった目の前の光景にわたしはガタガタと震えることしか出来なかった。

「や、なぎ、さ」
「赤也、なんのつもりだ。俺を怒らせたいのか」

グググという生々しい音に思わず耳を塞ぎたくなる。
赤也くんの足がバタバタと暴れている。
信じられない光景だった。
柳さんの右手が赤也くんの首を絞めてそのまま持ち上げている。
止めないと。
赤也くんだけが悪いわけではないのだから。
そう思っても身体が動かなかった。
怖くて。
だって、目の前に居る柳さんはまるで別人だったから。
赤也くんの目から涙がスッと落ちたと思ったらドサッと音がして赤也くんが地面に尻をついた。

座り込んで縮こまっていたわたしの顔を覗き込んだ柳さんは少し切なそうな顔をしていた。
苦しそうな赤也くんの息づかいが聞こえてくる。
顔を上げると優しく腕を引かれて立たされたと思ったらひょいっと持ち上げられて足が地面から離れた。
柳さんの腕に抱えられてわたしは屋敷の中へ戻った。

赤也くんの方を見ることは、出来なかった。

部屋に戻るとベッドに降ろされて、抱きしめられた。
いつもとは少し違って、柳さんがわたしの方へ倒れかかるように体重をかけてきて押し倒されたような形になる。
少し苦しいと思うほどにどんどん抱きしめる腕に力が入ってくる。
シーツと服が擦れる音がやけに耳に残って頭がおかしくなりそうだった。
さすがに苦しくて、柳さんの髪に触れると少しだけ力を緩めてくれた。
なんて声をかけたらいいのかわからない。
しばらく柳さんに抱きしめられたまま大人しくしていると今にも消えそうな声で柳さんがぽつりと呟いた。
「どうかしているな」って。
さっき、赤也くんの首を絞めてしまったことだろうか。

「すまない、お前を閉じこめたいわけではないんだ。」

まだ、あの時のことがどうしても整理がつかない。
そう言った柳さんの「あの時」がきっと昔のわたしが死んだ時のことなんだろうなってなんとなく思った。

「すまない、。すまない」

それは、どっちの「わたし」に謝っているの?
柳さんが好きな「」は本当に本当に「わたし」?

なんで、こんなに切なくなっちゃってるんだろう。

なんで、なんで。
こんなに泣きそうになってるんだろう。

「柳さんは『わたし』のこと好きですか?」

シュッと開かれた瞳が少しだけ揺れた。
髪を撫でられて、顔が近づいてきたと思ったらそっと唇に口付けられる。
頬を撫でられるように添えられた手が熱い。

「今更そんなことを聞かれるとはな」

すーっと頬に涙が伝った。
なんだか妙にほっとしてしまった。
さっきのキスがあまりにも優しくて、甘くて。
好きだって、言ってもらえたみたいだったから。

「生まれ変わってもだ。何度でも、好きになる」

生まれ、変わり?

いまのわたしは、昔のわたしの生まれ変わり。

そう、か。

何かがカチンと音を立ててハマった気がした。

吸血鬼2話

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