03.

心地いい日差しが差し込んでくる部屋でソファーに腰かけている
テーブルの上に置かれたユーリのブレスレットタイプの魔導器を見つめながら、はとても悩んでいた。

ユーリが武醒魔導器を忘れて行ってもう3日も経っていた。
この3日間はユーリが取りに来るのを待っていたが、ユーリが屋敷に来ることはなかった。
魔導器はこの世界で生きていくために必要不可欠な物だが、とても貴重な物だ。
その中でも武醒魔導器は日常生活では使う機会がまずない為、普通の下町市民が持っているようなものではないし、ユーリは元騎士で騎士団を辞めるときに餞別で貰ったのだと稽古の時に聞かせてもらっていた。
だからはそんなに大切な物なら絶対に忘れたことに気が付くだろうし、取りに来ると思っていた。
しかし予想は外れ、ユーリは取りに来なかった。

1日1日と過ぎていくと日に日に自分から返しに行ったほうが良いのではないかと考える時間が増えていく。
だがは中々返しに行こうと決心できないでいた。

が下町でユーリを見つけることが出来るのかという不安があった。
そもそもユーリがどこに住んでいるのかは知らない。
宿屋に行けば会えるのだろうか?昼間は働いていていない事もあるのではないだろうか?そもそもユーリは普段どんな仕事をしているんだろうか?
考えてみればユーリの事をは何も知らなかった。

もし宿屋に行ってユーリが居なかったらどうすればいいのだろうか。
宿屋で待たせてもらうにしても、はお金を持っていない。
普段の生活では必要になることがないし、外出するときは連れが払ってくれる。
この間はご厚意でご馳走になってしまったが、何度もそんなことしてもらうわけにはいかない。
寧ろこの間のご厚意のお礼をしなければいけない立場なのに持ち合わせもなく自分が用意できるお礼の品など考えもつかなかった。
そうなると宿屋周辺で見回りの騎士から逃げ隠れながらユーリが近くを通るのを待っているしか方法はない。
宿屋の女将さんにユーリに渡してほしいと頼むという作戦も考えたが、やはり無くなったら困る大切な物なので自分できちんとユーリに手渡すことに決めた為それは出来なかった。

渡す方法は決まっても、今度は宿屋までちゃんと辿り着けるのか不安だった。
一度しか行った事がないし、帝都の構造上貴族街は下町より高い所に建っているためこの間帰るときは貴族街を見上げて自分の家のあたりを目指せば良かったが、その逆は中々難しい。
なにしろ下町は貴族街の建物と違ってごちゃごちゃと小さい建物が密集しているので道も複雑でどこを目印に行けば宿屋に辿り着けるのかわからないのだ。
しかもこの間屋敷へ帰るときはユーリが送ってくれることが嬉しくて、ユーリの肩ばかり見て歩いていた。顔は恥ずかしくて見ることがあまり出来なかった。
宿屋の外観は覚えているので見つけたらわかる筈だが不安な事が多くて考える程自信が無くなってくる。
まずはがユーリに助けて貰った橋まで辿り着くこと。そこから宿屋を探す。そしてユーリを待つ。
毎日待ちながら考えていた作戦をそろそろ実行しなければならない。
昨日も何度も実行しようとしたが、決心がつかないままうだうだと考え事をしていたらいつの間にか日が暮れそうになっていて諦めてしまった。

(今日こそは絶対に外に出てユーリさんに武醒魔導器をお返しします!)

は心の中で固く誓うと、万年筆を手に取り紙にさらさらと何か書き始めた。
「体調が優れない為、休ませていただきます。起こさないでください」
そう書きつつった紙をの部屋の扉に貼り付けた。
3日前の様に突然何かの用事で騎士が来た時にが居ないと大変なことになるだろうと思い、本で年頃の女の子が自分の家族等にこのような方法を取っていたのを思い出して応用したものだった。
これで大丈夫だと頷いてみたが、それと同時に騎士に嘘をついてしまう罪悪感からごめんなさいと貼り紙に向かって謝罪した。

そして部屋へ戻り、クローゼットという名の衣装部屋へ向かいこの間の反省を生かしてドレスは極力目立たない物を選び、その上から顔を隠すことができるフード付きのマントを羽織った。
これで幾分目立たなくなるのではないかと鏡を覗き込んで納得したように頷いた。

(そういえば、いつも外出するとき人目を気にしていなかったのは馬車で移動していたから……)

月に一度の外出でこの様にマントを被った事もなければ、かといってコソコソとしていた覚えがなかった事を思い出しては胸がキュッと締め付けられるような思いだった。
屋敷の庭で馬車に乗り、美味しい物を食べに行ったり洋服を買ってもらったり……。
事情があってを人目に晒すわけにはいかず、それでも少しでも外へ出してやろうと移動から行く店先々で人払いをしてくれていたのではないかと初めて気付き、は切なくそして感謝の気持ちでいっぱいになった。
そんなを保護してくれて、にとって本当に大切で掛替えのない彼を思い浮かべてはごめんなさいそしてありがとうと心の中で呟いて目を瞑った。
再び目を開けた時のの表情は力強く、決意に満ちていた。

身支度を終え部屋に戻ったはソファーテーブルの上に置いてあるユーリの武醒魔導器を手に取ると、出窓を開けて目の前の木に飛び乗った。
危なげもなく木から降りると、穴の開いた塀を潜って屋敷の敷地内を後にした。

は外出許可のない日に自分の意志で初めて外へ出た。

***

コンコンッとドアをノックする音で目が覚める。
まだぼんやりとしている頭でも、朝から家のドアを叩く者は限られていて大体見当がついた。
重たい身体を起こし、ぼーっと扉の方を見ていると扉の向こうから呼びかけられる。

「ユーリ、居るんだろう?開けてくれないか」

声を聞くと誰が尋ねてきたのかはすぐにわかった。
小さいころから下町で一緒に育った親友のフレンだ。
面倒くさいのが来やがったと内心で嘆き、へいへいとダルそうに返事をして鍵を解錠して扉を開ける。
そこにはユーリが想像していた通りの厳しい顔つきのフレンが立っていた。

「ユーリ!いつまで寝ているつもりだったんだい?」
「そんなのお前に関係ないだろう」
「ラピードは君が起きないからもう散歩に行ってしまったよ」
「いつも好きな時に好きな所に居るだろラピードは」

開口一番から説教が始まりそうでユーリはうんざりしている様子だったが、フレンはそれを見て更に表情が険しくなる。
入口でずっと話すわけにもいかないのでフレンを部屋へ招き入れた。

「おはよう、ユーリ。3日前にも一度寄ったけど、外出中みたいでね」
「3日前?ああ、はいはい出かけてたけど。家に居ると誰かさんがいちいち説教しに来るからな」
「それなら説教しに来なくてもいい様に君も速く何かやることを見つけて、それに励むべきだ」
「はいはい、鉄板の台詞どうもありがとうございます」
「いつまでも下町でくすぶっていないで、今後の事をきちんと考えたほうがいいんじゃないのかい?」
「だからって、俺はもう騎士団には戻らないぜ」

フレンにとってはわかりきった返答だったが、そうはっきりと言い切るならこれからどうしていくのを明確に答えてほしい……そんな思いからフレンが溜息をついた。
そんなフレンを見てユーリはまたいつもと同じ展開かと、この陰気くさい雰囲気にうんざりしていた。
いつもこの手の話題になるとどうも険悪になりがちだった。
ユーリは今後の事について何も考えていない訳ではないということをフレンは重々承知していた。
日々の生活で困っている、苦しんでいる人たちを助けたいという気持ちはフレンと同じはずなのに騎士団では自分が思っているようにそういう人たちを助けることが出来なかった。
だから騎士団を辞めて、今は自分の目に入る範囲で何かある度に助けになれないかと首を突っ込む。
だが、そんなことをしても根本的に何かが解決するわけでもないということはユーリは嫌でも理解していた。

今のままではダメだとユーリが自分でわかっているからこそフレンは何度もユーリのもとへ足を運び、こうしてしつこいくらいにユーリへ今後の事を問いかける。
考えることを辞めてしまってこの日常で満足してしまうようになってはユーリが騎士団を辞めた意味がなくなってしまうから。
しかしだからと言ってフレンに具体的にあーしろ、こーしろとユーリに命令する権利など勿論ない。
正直のところフレンにもどうしたらいいのかなどわからない。
ただフレンはユーリに考えることを辞めてほしくなかった。
例えどんなにユーリから煙たがられてもフレンはユーリへこの問いかけを辞めることはないだろう。

「ユーリはもっと外の世界を見てもいいんじゃないか。なにも下町だけがこの世界全部じゃない」
「世界を見るっつってもな……」

この台詞も毎度のことで、それに対してのユーリの返答も代り映えしない。
世界を旅する……といっても何のために?
自分の知らない世界を見て回るために?何故?
自分の出来ることを探すために?
それは本当に自分にとって必要なことなのかという事は深く考えなくてもすぐに答えは出た。
だがそれは、小さいころからよくしてくれている下町の人たちを放っておいてまでしなくてはいけないことなのだろうか?
もし何も見つけられずにただ彷徨うだけになってしまったら、親同然に育ててくれたこの下町の人たちに自分は何を返すことができるのだろうか。
考える時間も頭も有り余るほど持っているユーリは中々腰があがらない。

それでもいつもと違い、ユーリが何か思い出したように口を開いた。

「そういや、フレン。お前、貴族街の外れにある一際大きな屋敷知ってるか」
「貴族街の外れにある大きな屋敷……ああ、その屋敷がどうしたんだい?というか、君はまた勝手に貴族街に忍び込んだんだね」
「まあ、色々あってな。あそこ、騎士団が常に見張りで居るしスゲー屋敷なのに人が住んでる気配があんまないっつーか……」
「私有地だから詳しいことは知らないけど、アレクセイ騎士団長の所有している屋敷のひとつと聞いているけど」
「アレクセイ……」
「騎士団長くらい有名なお方の屋敷には騎士団が見張りに就くことも珍しくないだろう。騎士団長は親衛隊を配置なさっているね」
「ああ、遠目から見ただけだからシュバーン隊かとも一瞬思ったけど、やっぱ親衛隊だったか」
「あれだけ立派なお屋敷なんだ。信頼を置いている者に任せるのは当然だろうね」

ふーんと軽い返事をしたユーリに、他に聞きたいことがあるんじゃないのかとフレンが黙っているとユーリは降参したのかあるもう一つの事を聞いた。

「お前、薄ピンク色の髪に緑色の目した貴族のお嬢様の事知ってるか?」

ユーリがそう尋ねるとフレンの目が一瞬だけわずかに大きくなったのをユーリは見逃さなかった。
驚いたのを隠したかったのだろうが付き合いの長いユーリには隠しきれなかった。

「さあ……誰か気になる人でも居たのかい?」
「そんなんじゃねーよ。偶然みかけたっつーか、たまたま視界に入ったんだろーな」
「……不法侵入は辞めてくれって何度も言ってるんだけどな。僕の部屋へは本当に大事の時だけにしてくれよ」
「あん?そんな頻繁に行くかっつの」

「だといいんだけどね」と呆れた風に言うフレンをユーリが面白くなさそうな顔でじっと見た。
しかし内心2人とも聞かれたくないことに関して聞かれずに済んで内心とてもホッとしていた。

特に話すことが無くなってしまって、先ほどの話題を広げられても困る2人はそろそろ今日はお開きにするかと互いに思っているのをなんとなく感じていた。
そんな時に扉を開けてほしいと扉の外からガリガリと音がして、ラピードが散歩から帰ってきたのかとユーリが部屋の扉を開けた。
散歩の後にわざわざ部屋まで戻ってくるなんて珍しい。
フレンが来ているから、といっても別に普段はそんなこともない。
昨晩部屋に入れずにそのまま施錠して寝てしまったからかとも考えたが、部屋に入れなくてもいつも宿屋の階段付近で寝ている。
どうしたんだと声をかけようとしたが、ユーリはラピードが銜えている物を見て驚いた表情を見せた。

「ラピードお前、それどっから……」
「ワンッ」
「ユーリ!武醒魔導器なくしていたのかい!?あれは大事な……」
「違えよ。ちょっと、わざと忘れてったんだ」
「わざとって、どうしてそんなこと」
「どうでもいいだろ」

ユーリの行動全てに干渉する気は勿論無いが、それにしたって大切な武醒魔導器をわざと忘れていくなんてただ事ではない。
間違って無くしてしまったらどうしていたんだと問いただそうとするが、ユーリはラピードにどこで拾ってきたのか等を聞いていて全く話す気は無さそうだった。
何か一言言ってやろうかとも思ったが、ユーリの表情が心なしかいつもより楽しそうに見えたのでフレンはそのまま仕事に向かうことにした。

「俺ちょっと家出てくるけど」
「僕も仕事に向かうよ。本当は昼過ぎからなんだけど、早めに行くことにするよ」
「ちゃんと仕事に励めよ、騎士殿」

そんなこと言われなくてもきちんと働くとでも言いたげなフレンが厳しい表情でユーリを見たが、ユーリは「じゃあな」と部屋を飛び出していった。
3日前もどこかに行っていたようだし、何かいいことでもあったのかとフレンは少しほっとしたように笑った。

そんなフレンをラピードが覗き込むように見上げる。
「ユーリを頼んだよ」とフレンがラピードへお願いすると、ラピードは承知したと言わんばかりに尻尾を振ってユーリの後を追いかけて行った。
ラピードを見送ると、フレンは仕事の為下町を後にした。

***

屋敷を抜け出してなんとかユーリと出会った橋まで辿り着くことができた
まだ目的地に辿り着いていないが、橋まで自力で辿り着けたという達成感と安心感から一度そこで足を止めた。
ユーリと初めて出会ったのはたった4日前。
その時と同じように橋の上から川の方を眺めてみた。
正直あの時は外に出たら何か変わると思っていたのに、変わらずひとりぼっちで虚しくてここでぼーっと考え事をしていた。
結果ペンダントを落としてしまって自分も橋から落ちてしまったが、今ではいい思い出だ。
その時の事を思い出してクスッと笑う。その手にはペンダントではなくユーリの武醒魔導器が握られていた。

しかしハッと我に返り、和んでいないで宿屋を探さなければと気持ちを入れ替えたが進もうとするとキセルを銜えた強そうな犬が前方から歩いてきた。
動物とあまり面識のないはその犬を見て緊張したように体を強張らせた。
堂々と歩くその犬は一瞬狼なのではないかと思ってしまうような風貌だった。
背中に剣も背負っているし、飼い犬なのだろうか等と考えていたが、ともかく動物に慣れていないは立ち止まったままその犬が通り過ぎるのを見ていた。
ところが突然犬の耳がピンッと立って、が手に持っているものをみると身構えてガルルルルッとを威嚇し始めたのだ。

(え、どうして!?)とが慌てて魔導器を後ろに隠したが、犬は威嚇をやめてくれなかった。
光るものに興味があるのか、それとも売ればお金になるとわかっているのか、それなら話せばこれは人の物だからあげられないとわかってくれるのだろうかと頭の中は混乱していた。
そんな隙だらけの所をこの賢い犬が見逃してくれるわけもなく、「ガウッ!」と唸りながら犬がに飛びかかってきた。

「え!きゃあああ!」

悲鳴を上げたときにはもう遅く、受け身も取れないまま強力なタックルを受けて橋の真ん中から後方へ吹っ飛ばされてしまった。
あちこち身体が痛くて顔をあげるのが精一杯だ。
すぐに魔導器を手に持っていないことに気が付いて辺りを見回してみると手の届かない位置に転がっていて、ちょうど犬がそれを銜えたのが目に入る。

「待って……」

力なく犬に呼びかけるが、待ってくれるはずもなかった。
犬は魔導器を銜えて下町の方へ走って消えてしまった。

は慌てて身体を起こして犬を追いかける。考えるよりも先に体が動いていた。
先ほどまではあんなに身体中痛かったのに何も感じない、頭の中は真っ白だった。
ただ、ユーリの魔導器を返して貰わないといけないのだとそのことだけを考えて走った。

しかし、小さな建物が入り組んでいる下町で自分より足の速い犬を捕まえることは出来なかった。
犬が行った方向に走ったが、もうどこにもその姿は見当たらない。

立ち止まって呆然と立ち尽くしていると、身体の痛みがじわじわと戻って思わず顔を歪めてしまう。
マントを羽織っていたので全体的に打撲で済んだが、足元はそうもいかなかったのか何かに当たってしまったのか右足首がぱっくりと切れていて凄い血が出ていた。
そこ以外は押すと痛く、青あざになっているかもしれないが特に出血はなかった。
足の傷を治さないと探しに行けないとはすぐに回復呪文を唱えるが、魔導器を失くしてしまった焦りと動揺からか集中できずうまく術が発動しない。
何回かやってみたが術を発動させることは出来なかった。
それが更に不甲斐なくて、ずるずるとその場に力なく膝をつくと涙が溢れてきた。

ユーリに合わせる顔がない。なんて言って謝ればいいのか。謝ったところで許してもらえるのか。
泣いても仕方がない。泣くな、止まれ、止まれと涙を止めようとしたが止めることができない。
それでも今は魔導器を銜えていった犬を探すほかにどうすることもできないので、は強引に涙を拭って立ち上がった。
右足がジンジンと痛んだが、術をうまく発動させられる精神状態ではない為治すのは後回しにするしかなかった。

どこから探そうと辺りを見回していると、見知った人影がの方へ走ってくるのが見えての瞳はまた涙で潤んだ。

!なに泣いてんだよ。迷子になったのか?」
「ユーリさん、わたし……」
「ラピードが魔導器銜えて持ってくるから驚いたなんのって」
「え……」
「これ、届けに来てくれたんだろ?」

ユーリが左腕をに見せつけるように上げるとその腕にはさっきが犬に取られた筈の魔導器が何事もなかったかのようについている。
「どうして」とが呟くと「ワゥン」と覇気のない犬の鳴き声がしてユーリの足元に目をやるとそこには先ほどにタックルをかまして魔導器を持っていた張本人が座っていた。

「紹介してなかったな、こいつは俺の相棒のラピード。あんま人に懐かないけど仲良くしてやってくれ」

は驚いて開いた口がふさがっていないままラピードと魔導器を交互に何度も見る。
そしてみるみるうちに涙が溢れだしてぽろぽろと地面に落ちていった。

それに驚いたユーリが「どうしたんだよ」とに声をかけたが、よく見たらのマントが土で汚れていて右足から血がダラダラと流れているのに気づいて思わずぎょっとする。
もしかしてとラピードの方を見るとフイッと顔を逸らされ、ユーリは思わず顔が強張った。

「よ、よかった……本当に良かったです。失くしてしまったと思って……ユーリさんの所の犬だったのですね」

安心して止まらない涙をが手で拭いながらよかったと何度も繰り返す。
そんなに気まずそうにユーリが声をかけた。

……その怪我、もしかしてラピードに……」
「あ……え、と」

言葉を詰まらせているにラピードがやったのだと確信を得たユーリ。

「悪かった。ほら、ラピードもちゃんと謝れ」

ユーリに言われて「ワウーン」と鳴きながら申し訳なさそうにしているラピードには「気にしないでください」と両手をぶんぶんと横に振った。

「それより、傷速く手当しねーと血やばいぞ。……っていうか治癒術は使わないのか?」

ユーリに言われて先ほど動揺して術が発動できないという失態を繰り返したことを思い出しては恥ずかしそうに顔を逸らした。
「あ、先ほど治そうとしたのですがうまく発動しなくて……でも!今なら大丈夫ですかね……」と説明しているを見て何か思いついたのかユーリの目がニヤリと笑った。

ひょいっとを抱きかかえると、何が起こったのかよくわかっていないなどお構いなしに歩き始めた。
ラピードもその後をついてくる。
足が宙に浮いていて、ユーリの顔がぐっと近くなったことに唯々驚いていて、お姫様抱っこをされているとが認識するのに少し時差があった。
絵に描いたように顔が真っ赤になっていくを見てユーリは予想通りのリアクションに満足そうな顔をした。

「あ、あの……!」
「その傷じゃ歩かないほうが良いだろ?宿屋まで行くぞ。騎士に見つからないように、だよな」
「は、はい。えと、ありがとうございます」

もっと何か言われるのかとも思っていたが、意外と大人しくしているの真っ赤に染まった頬と潤んだ瞳がユーリの悪戯心を更にくすぐった。
「おっとー手がスベったー」と如何にも棒読みな台詞を言いながらわざとを落としかけてみせた。
「ひゃあっ」と悲鳴をあげてがユーリの首に腕を回してしがみつくと、いつでも互いの顔が触れてしまうほど近くに顔があった。
は咄嗟に腕を離そうとしたが「そうそう、そうやって掴まってくれてると運びやすいわ」とユーリが言ったため離すことが出来ず、そのままの体制で居る他なかった。
恥ずかしすぎて困った表情のとは対照的にユーリは楽しそうな表情をしていた。

「それにしても、よく届けに来てくれたな。大変だっただろ、ラピードにやられて」
「いえ、寧ろ届けるのが遅くなってしまって申し訳ないです。それに、もっと怖いことが起こるんじゃないかと思っていたのでラピードにタックルされた位全然かわいいものです」
「……タックルされたのか。本当に悪かった」
「あ、えと。すいません。でも本当に大丈夫です。魔導器を失くしてしまったと、動揺して治癒術がうまく発動させられなくて……普段ならこんな傷全然!」

自分は大丈夫だとアピールしているに少し安心したユーリ。
「そっか、サンキュな」とユーリがいつもより優しい口調で言うので、も安心してずっと思っていたことをユーリに話し始めた。

「ユーリさんが魔導器を忘れて行ってどうしようってとても慌てていたのですが、返しに行くって決めてからユーリさんの都合とかそういう事を考えていて当然かもしれないですけど、わたしユーリさんの知らないことが多すぎて……」
「そりゃあな、今日で会うの3回目だぞ」
「はい、そうなのですが……あの、今更かよって思われるかもしれないですが聞いてもいいですか?」
「ん?なんだよ改まって。そんな今更な事あるか?」

ユーリが何を聞かれるのかと考えている様子が少し可愛らしいと思えては思わず少しだけ笑ってしまった。

「はい、これだけは聞こうと思っていたんです。ユーリさんっておいくつなんですか?」

に歳を聞かれて、そういえば言った記憶はないしの年齢も知らない。
これは確かに今更聞くことではなかったかもしれないと納得したと同時に、大切な事を聞きそびれていたかのように質問してくるを何だか可愛らしいと思えてユーリも思わず笑ってしまった。

「21だ。そうだな、確かにそりゃ今更かもな。お前は?」
「18歳です。やっぱりユーリさんは年上でしたね」
「年下が良かったのか?こんな17歳いねーだろ」
「そうでしょうか、居てもいいと思います。あ、あの!もっと、色々聞いてもいいですか?」

少しだけ緊張した口調で尋ねるにユーリは「いいよ」といつもより柔らかい口調で答えた。

「けど、宿屋で手当してからな。その後ならいくらでもいいぜ。俺が答える分、お前も答えてくれるんだろ?」
「え!あ、あ……そう、ですよね。答えられる範囲で、全力で答えます」
「ふーん、そりゃ期待しとくわ」

ユーリがあまりにもどうでもよさそうにそういうのでは納得いかない顔でユーリを見た。
そんなを見ないふりをしていると、もう宿屋は目の前だった。

互いにどんな事を聞かれるんだろうと少しだけわくわくしているのをラピードがなんとも言えない表情で見ていたのにどちらも気付くことはなかった。

(2017/06/09)

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