02.

「じゃ、また来るわ」

その言葉がエンドレスで流れる夢を見た。
彼女にとって、次を約束してくれる存在はとても少ない。

その夢はとてもあたたかくてふわふわとしていた。

コンコンッと扉を叩く音で目が覚める。

カーテンで日差しが遮られた部屋でうっすらと目が開く。
もうそんな時間!?と飛び起きるとそのまま部屋の扉をあけた。

「おはようございます、様」
「おはようございます。すいません、わざわざ起こしに来させてしまって」

が扉を開けるとそこには騎士団員が立っていた。
別に特別なことではない。
ただ、いつもは騎士団の誰かしらが来る前に食事をする部屋で待っている事が多い。
が何時まで経っても起きてこないので起こしに来てくれたのだろう。

「とんでもございません。あまりお休みになれませんでしたか?」
「いいえ、そんなことは…昨日は遅くまで本を読んでいましたので」
「そうだったのですか。朝食と昼食をお持ちいたしましたので召し上がりください」
「はい、ありがとうございます」

昨日本当は勝手に外に出て橋から落ちた挙句、服を泥だらけにしてしまい下町の男性ユーリに助けて貰った。
ちょっとした大冒険をしてきたせいかいつもより体が疲れていてぐっすり寝てしまった、などとは口が裂けても言えなかった。
読書など昨日はこれっぽっちもしていない。

綺麗にしてもらったとはいえ、ドレスは屋敷を抜け出す前よりは汚れてしまったため
「お部屋のお掃除をしていたら少し汚れてしまいました」
と、夕食を持ってきてくれた騎士に対して嘘をついた。
昨日から日々お世話をしてくれている騎士団員に対して何回も嘘をついている。
申し訳ない気持ちはあるが、昨日彼女に起こった出来事は絶対に絶対に知られてはいけなかった。

「それでは、自分はこれで失礼させていただきます」

騎士団はなにかと忙しい。
朝食と昼食をまとめて持ってくるのもその為だ。
へ一礼して屋敷の外へと向かう団員もこの後他の任務があるのだろう。
一人になってしまうこの時は少し苦手だが、もいつもゆっくりと過ごしているわけではない。

今日のの予定はお昼頃から剣術の稽古があった。
寝坊してしまったが、時間にはとても余裕があるため別段急いだりはせず部屋へ向かった。

いつものように朝食を済ませ、寝間着のままではいけないと着替えるためにまた寝室へと戻る。
慌てて起きたためいつもは起きたときに開けるカーテンがまだ閉まったままだった。

カーテンを開けるよりも先にとりあえず着替えてしまおうと稽古のときに着る動きやすい服を寝室の隣にあるクローゼットにしてしまった部屋から引っ張り出してきた。

寝間着を脱ぐといつもよりも肌寒いと感じた。

原因はカーテンが閉まっているからだろうか。
日差しがないだけで体感温度はまるで違う。

いつも着替えるときはカーテンを開けたまま着替えているのだ。
家の正面側は騎士団員が立っていたり、貴族街が見える為流石に開けないが裏側のカーテンならば問題ない。
昨日家からこっそり抜け出したのもこの窓なのだから。

この肌寒さを解消するため、は下着のままカーテンを開けた。

冷たい空気が陽の光であたたかくなり、木々の緑を感じて気分が安らぐ窓の外の景色。
人目は全くない……はずだった。

「お前、随分とオープンな着替え方してんのな」
「え…?」

カーテンを開けたら窓が開いていて、出窓の物が置けるようになっているスペースに夢で何度も見た、ユーリがしゃがんで乗っていた。
開けたカーテンが風に吹かれて揺られているのが何故か何十倍もスローで再生されて目に飛び込んでくるような感覚だった。
は下着のままで、こんなの毎日お世話をしてくれている騎士団員にだって見られたことがない。

よく読んでいた本では「きゃー!」と叫んでお付きの人を呼ぶ場面だ。
しかしこんなことに遭遇しそうになったことすらないには対処しきれない事だった。
みるみる顔や全身が真っ赤になっていくのがにも、それを見ているユーリにもわかった。

「いやー、とりあえず来てみたんだけど着替えてるっぽかったから終わるの待ってたんだけどまさか自分から開けるとは……」

ユーリが顔を横に逸らして状況の説明をしているとき、ついにの中で何かが爆発したのか今まで硬直していた体が突然動いた。

ドンッ
と出窓にしゃがんでいたユーリを突き飛ばす。

不意を突かれ、顔を逸らしていたせいで反応が遅れたユーリはバランスを崩し、そのまま自分が開けて侵入した窓から下に落ちていった。
「ちょ、嘘だろ」という声がギリギリ体が窓から見えなくなる前に聞こえてきたが、その後すぐにドサッという音がした。

はユーリが見えなくなって下に落ちたであろう音を聞いたところでハッと我に返り慌てて窓から顔を出した。

屋敷裏から正門の騎士団が居る所まではそれなりに距離があるため、恐らくユーリが落ちた音は警備の騎士団員には気づかれていないだろう。
それでも大きな声を出しては気づかれてしまう恐れがある為、極力小声で裏庭に背中から落ちたユーリへ声をかける。

「ユーリさん!すいません!大丈夫ですかー!」
「ハハハーマジか……」

落ちた体制のままそこから動こうとしないユーリの所に駆け寄ろうと窓枠に手を掛けただったが、少し躊躇う表情を見せた。
ユーリはしばらく様子を見るように動かなかったが、がその場で心配そうに見つめたまま動けないのがわかると諦めて上半身を起こした。
は昨日の様に屋敷から出てくるつもりはないらしい。

「大丈夫。大した怪我してねーよ……奇跡的にな」
「すいません!本当にすいません!あの、手当を……」
「ん、サンキュ。でもとりあえず、その、なんだ……そろそろ服着た方がいいと思うけど」
「ああ!はいっ!す、すいません!」

下着のままだったことがすっかり頭から抜けていた様子だった。
は勢いよく出窓から降りると素早くカーテンを閉めた。
やれやれと力が抜けて息をつくユーリ。まさかあんな高い窓から落とされるとは思ってもみなかった。
普通の家よりも天井高がある立派な屋敷。随分と高い所から落ちたものだと窓を見上げるとカーテンが少しだけ開いた。
随分速着替えだなと一瞬感心したが、カーテンから顔だけひょこっと出すを見て思わずユーリの眉間に皺が寄る。

「あの、手当をしたいので」
「わかったわかった、んなことはどうでもいいからはやく着替えて来い」
「は、はい!」

ユーリが帰ってしまうと思ったのだろうか。
が着替えに戻るとユーリは髪や服に着いた土を払っていた。

昨日からどうもツイていない。
橋から落ちてきたリ、2階から突き落したり。
帝都の下町では日々何かと問題が起こる為、それと比べれば些細な出来事なのかもしれないが、どうもに振り回されているように思う。
むしろユーリは税の徴収に来た騎士団員を川に突き落としたり、どちらかというと周りを振り回す側にいたため振り回されるというのは珍しい。
まさか貴族のお嬢様と関りになる日が来るなんて昨日まで夢にも思っていなかったし、ましてや自分が好んで貴族の屋敷に足を運ぶことになるなんて自分でも信じられなかった。
ユーリにとってに振り回されるのは今まででは絶対に起こりえなかったかもしれない非日常だった。

「ユーリさん、着替えが終わりました」

上から声がして、顔を向けると窓からが顔を覗かせていた。
「お待たせしてすいません」というにユーリは少しだけ表情を緩めた。
そんなユーリを見てがふんわりと笑うと、ユーリはまんざらでもなさそうな表情を浮かべた。

ユーリがの屋敷に入っても気付くものは誰もいないようだった。
騎士団の見張りは正門前に居る2人だけらしい。

ユーリが部屋に入るなりすぐにソファに座せ、がユーリに治癒術を施した。
「治癒術なんて使えたのな」とユーリが聞くとは困ったとも喜んでいるともとれるなんともいえない表情を浮かべた。
の足首で術を発動して光り輝いている武醒魔導器をユーリが見つけた頃には治療が終わっていた。
ユーリがお礼を言うとは微笑んで「紅茶でも淹れますね」と言って部屋を後にした。

さらっと入ってしまったが、昨日聞いた限りでははこの屋敷に1人で住んでいて、そんな所にふらふらと入ってしまって大丈夫なんだろうかと屋敷の豪華さに圧倒されてかユーリは今更ながらにそんなことを思ってしまった。
こんな珍しい所に来てじっと座って待っているような柄ではないが、勝手に侵入して出窓に潜んでいた事を一応悪いと思っているからかユーリがソファから動くことはなかった。
それでも普段目に入ってくる景色とあまりにかけ離れているこの部屋を呆然と眺めているとドアが開いてお茶のセットが乗ったワゴンを押してが戻ってきた。

「昨日とは随分違う格好だな。なんか、騎士団の軽装みたいだなその格好」
「あ、そうなんです。実は今日は稽古の日で、この服は騎士団の軽装を真似して作ったそうなんです。お詳しいですね」

はソファーテーブルの横にワゴンを置くと乗せてきたセットをテーブルの上に並べ始める。
ユーリが言った通り、の今の格好は騎士団の軽装とよく似た作りになっている。
ただ色がピンクを基調として作られている為か実際に騎士団では着ている隊はないと判断してユーリは騎士団の軽装みたいと言ったのだろう。

「ん?ああ、俺昔騎士団に入ってたんだよ。昨日言ってなかったか」
「ええ!聞いてません!そうだったのですね……」

ユーリが元騎士と知り、ティーカップを並べる手が止まった
また困ったとも喜んでいるともとれるなんともいえない表情を浮かべている。
どちらかというと困った表情の方が強い。

「別に元同僚にチクったりしねーよ」
「え、あ、いえ……その、騎士団はお城で生活しているのですよね」

まるで探りを入れているかのようなはっきりとしない言い方で聞いてくるに城になにかあるのかと考えたが貴族だからなにかと関りでもあるのかと特に気にしないことにしたユーリ。
城での生活に憧れでもあるのかと思ったが、正直城での生活など全く知らないユーリはそれに答えることは出来なかった。

「城?まあ、帝都勤務ならそうだろうな。俺入ってすぐ地方に飛ばされたから騎士団だった頃は訓練場と寮くらいしか行ったことないな」
「騎士団だった頃はって、今も出入りしているのですか?」
「あー、まあ、主に知り合いの騎士の部屋とか、牢屋とか……」
「ええええ!」
「まあ、俺の事はいいんだよ」
「お知り合いの部屋はともかくとして、牢屋ってどういうことですか!」
「だから、いいっつってんのに」
「よくないです!」

そんなに城に出入りしていたらなにか問題があるのかと聞き返してみようかとも思ったユーリだったが、厳しい顔つきで見つめてくるに観念したようで小さく息をついた。
確かになにか大罪を犯したものを家に簡単にあげてしまったとなったら大問題だろう。
しかも四六時中騎士団の護衛付きなんだから尚更だろう。

「正直大したことはしてないと思うんだけど騎士団の奴らちょっと揉めると問答無用で牢にぶち込むからな。この間は喧嘩の仲裁に入ったらそいつ等共々ぶち込まれたし」
「犯罪を犯したわけではないのですね。安心しました」
「だから昨日が脱走してたのがバレたらきっと牢にぶち込まれるだろうな。気をつけろよー」
「そう、ですよね……」
「冗談だよ、本気にすんな。……それにバレなきゃ別にいいんじゃないか、外に出ても」

「そうですね……」と言葉を詰まらせるが思い出したようにまたティーカップをテーブルの上に並べ始めた。
ポットにお湯を注ぐと紅茶のいい香りがしたあと、花の香りがふんわりと香った。
蓋をしてポットにティーコジーを被せて砂時計をひっくり返す。
慣れた手つきに普段からよく淹れているのだろうなということが伺えた。

「昨日家を出てみて……することもなく唯々彷徨うのは、とても不安で寂しくて正直なんで外に出たんだろうって思ってしまいました。」
「ま、知らない土地にひとりきりってのは確かに心細いかもな」
「自分の知らない景色を見るのは楽しかったのですが、町の人たちを見ていると『ああ、わたしはあの輪の中には入れないんだ』って、このお屋敷の中と違ってすぐそこに人がいるのに……わたしはやっぱりひとりなんだなって」

自分ひとりきりでいるよりも、周りに人が居てでもその輪の中には入れない時の方が寂しさが何倍にも膨れ上がってしまうのは孤児であるユーリには痛いほどわかった。
下町の人たちは良くしてくれているが、家族水入らずの時は遠慮もするし寂しくもあった。
は昨日初めて一人で外出して、知り合いも居らず騎士からも逃げなければいけなかった為心細かったのだろうと。

「あ、もちろんユーリさんや女将さんとお知り合いになれたのはとても嬉しかったです。でも騎士団の人に見つかってしまったらとてもご迷惑がかかってしまいます。ユーリさんたちにご迷惑をおかけするわけには……」
「迷惑って思うかどうかなんて、人それぞれだからな。俺は別に迷惑だなんて思わないぜ。多分下町の連中もな」
「でも……その、わたしは何をしに外に出るのでしょうか。ユーリさんに会いに行く理由がありません……」
「理由がないといけないのか?」
「だって、用もないのに男の人に会いに行くんですよ!そ、そういうのが許されるのは、こ、こ、恋人くらいです!」

顔を真っ赤にしているにユーリは思わず面食らってしまったが、逆に成程と納得したようだった。
流石貴族のお嬢様は自分と発想が全く違うと感心してしまう位だ。
顔を真っ赤にしながら必死に主張しているが少し可愛らしいとも思えた。

「そうか?別にいいんじゃねーの?話に来るくらい」
「じゃあユーリさんの周りには、用事はないけどお話したり一緒にいるために頻繁に訪ねてくる人が居るんですか」
「まあ、居るっちゃいるけど全員男だな。……ハハッ、そっかそっか」

ケラケラと可笑しそうに笑うユーリには少し口を尖らせている。
少し目線を外すと砂時計が全て下に落ちきっていることに気が付いたは「そんなに笑うことですか?」と不満を漏らしながらティーコジーを外してポットに手をかけた。
紅茶が注がれると花の香が先ほどよりもはっきりと香ってなんだか癒される。
「どうぞ」とに差し出されたカップに「どうも」と言って手を伸ばすユーリ。
紅茶を一口飲んでみると、普段紅茶をあまり飲まないユーリでも美味しいと素直に思ってしまうほどだった。

「別に変だからとかじゃなくて、の育ちがいいんだなーって思っただけだよ」

「本当にそれだけですか?」とが言い返そうとしたとき、の動きがピタリと止まった。
どうかしたのかとユーリがに声をかけようとしたが、が口元で人差し指を立てた。

「すいません、人が来たようです。恐らくここへ来ると思うので暫くわたしのクローゼットの中へ隠れていていただけますか?」
「人が来たって、お前耳いいな」
「慣れです。ユーリさんが出窓に潜んでいるのはわかりませんでしたし」
「まあ俺も物音立てないようにしてたけどな」
「とにかくクローゼットの中へいてください。もしこの部屋からわたしが移動するようなことがあれば、当分戻ってこないかもしれないので……」
「んじゃ、そしたら隙見て帰るわ」
「放ったらかしですいません」

小声で話しながら足早にクローゼットの方まで移動するにユーリは後ろからついていった。
がその扉を開けるとそこには高そうなドレスが何着もずらりとかけてあった。
ユーリがその中へ入るとはすいませんと一度お辞儀をして扉を閉めた。
クローゼットとは言っていたが、正直衣装部屋と言ったほうが正しい。
(俺の部屋よりここの部屋の方が広いんじゃないか?)とユーリが思ってしまう位広さがある部屋だった。

移動してから少しするとガシャガシャという鎧特有の足音が聞こえ、部屋の前で止まった。
コンコンッと部屋がノックされると男性の声が響いた。

様、本日の稽古の事で少しよろしいでしょうか」

「はい」と返事をしながら扉の方へ移動する
騎士は先ほどよりも声を張り上げる必要がないからか普通に話し始め、ユーリの所まではっきりと聞こえたのはそこまでだった。
何か話しているのは確かだが会話が聞き取れるほどではなく、耳を澄ませてみても聞き取ることは出来なかった。

少しすると騎士が来た道を戻っていくのが伺えたが、部屋の扉が閉まり部屋の中からユーリが居るクローゼットの方へ向かってくる足音が聞こえたのでが付いていかなかったのがすぐにわかった。
クローゼットの扉が開くと少しほっとしている様な表情を浮かべているにつられてユーリの表情も少し緩んだ。
はあーと緊張していたのを吐き出すと少し可笑しくて一緒にクスクスと笑ってしまった。

「なんかスリルあるな」
「わたしもドキドキしてしまいました」
「なんの用だったんだ?すぐに帰ったみたいだけど」
「今日の稽古が無くなったという連絡です。どうも忙しいみたいで稽古もそうなんですが、お勉強の方も暫く出来なくなるそうで……」
「お前、それでいいのかよ。代理の奴とか呼べないのか?」
「いつもは代理の方が来てくれるのですが、本当に忙しいみたいでそちらもちょっと難しいみたいです」
「ほんとかよ?暇そうにしてる騎士なんてそこら中に居るだろ」
「その……誰でもいいというわけではありませんし、勉強は一人でもできますし、それに昨日は剣術の稽古と言ったかもしれませんが正確にはちょっと違って」

「なにが」ユーリがそう言うとがわたわたし始めて、かと思えば突然閃いたように先ほどお茶していたソファーの方へ戻ろうとジェスチャーした。
ソファーに腰をかけて、紅茶を一口すすって一息つくと話す気になったのかがユーリの方を見つめた。
しかし話しづらいのか目線を逸らして恥ずかしそうに口を開いた。

「えと、その……最初は剣術を教わっていたのですが……その……わたしがあまりに上達しないので、今は体術を教わっています。剣術ではないので、その……」
「は?体術って殴る蹴るの?」
「そ、そんな言い方しないでください!己の肉体のみでで行う技・攻撃・防御のことで……」
「はいはい体術ね。なんつーかお前、どんどんお転婆感増すな。紅茶淹れてるとこはスゲー品がよさそうだったけど」
「ありがとうございます。紅茶だけは得意なんです」
「ほう、紅茶だけはってことは料理はダメか」
「料理はしたことがないのでわかりませんが、やってみたら意外と上手かもしれません」
「そう言ってるやつで料理上手いやつ、あんま見たことないけどな」

ユーリの呆れたような声に可笑しくてが楽しそうに笑った。
それを見てユーリの顔も自然と緩んでしまう。
笑いが収まってきてふうと一息つくとはまた紅茶をすすっていた。
ユーリも紅茶を飲もうとカップに手を伸ばしたが、何か閃いたようでふっと得意げに笑った。

「稽古は一人じゃ出来ないだろ。俺が相手役やってもいーぜ?」

ユーリの突然の提案には最初ぽかーんとした顔でユーリを見たが、頭の中ではっきりと言葉の意味を理解すると見る見るうちに表情が明るくなり、まるで顔の周りに突然花が咲いたような嬉しそうな表情を見せた。
よろしいのですか?嬉しいです!という台詞が聞こえてきそうだった。

「よろしいのですか?嬉しいです!」

予想通りの台詞にユーリは肩を揺らしていた。

「ああ、よろしいですよ。一応元騎士だし、本業は剣だけど体術ならもってこいだな」
「ありがとうございます!本当に嬉しいです」
「場所はあるのか?」
「いつもは中庭でしているのですが、中庭でするわけにはいかないので雨の日に使っている部屋なら……」
「なら問題ないな。今日稽古だったんだろ、この後するか?」
「ユーリさんがよろしければ是非!あ、でも建物内は武醒魔導器での稽古は禁止なんです」
「そりゃ、流石にな。間違って使っちまったってことが無いように外しておいたほうがいいな」

ユーリももやる気満々で、とんとん拍子で話が進んでいく。
ユーリが左腕の武醒魔導器を外してティーカップの横に置くとも真似するように左足首の武醒魔導器を外してテーブルの上に置いた。
が足首をぐるぐると回してほぐしているのを関心したようにユーリが見ている。

「魔導器も足につけたけど、足技が得意なのか?」
「はい、どちらかというと足技の方が多いです」
「ふーん、そりゃあ窓から木に飛び乗るなんて考えるくらいだからな。なんか妙に納得するわ……」

照れくさそうに笑ったに呆れた様子で「全然褒めてねーんだけどな」と突っ込みを入れて「じゃ、行きますか」と頷いたユーリ。
それに対しても頷いて「こっちです」と部屋の入口の方へ歩いていく。

「あ、廊下の窓から見えないようにしゃがんで歩かないといけませんね」
「いや別にお前もしゃがんで歩くことないだろ。俺が見えないように歩けばいいんだろ?」
「確かにそうですね!じゃあ、わたしは普通に歩きます」

ユーリはやれやれと呆れているが、どうやってしごいてやろうかとひっそりと考えているのかニヤリと笑った顔が隠しきれていない様子だった。
それと同時にが昨日よりも何だか気を抜いて接しているのは打ち解け始めたのか、それとも自分の家だからかとぼんやりと考えていた。
を引き取っている育ての親が、男を招き入れているなんて知ったら大変なことになるだろうなとも思いながらユーリは外に居る見張りの騎士団員に見つからないように稽古部屋と向かった。

***

二人が再び元居た部屋に戻ってきたのは陽が一度昇りきって、落ち始めた頃だった。
ぐったりしているとは裏腹にユーリはぴんぴんしている所か行く前より晴れやかな顔をして戻ってきた。
は相当しごかれたらしい。

「はっはっはー、もっと筋トレしないとダメだぞーこのくらいでへばるようじゃなー」
「……スパルタです」
「まあ、でも思ってたより全然ちゃんとやってんだな。その辺の雑魚騎士団より全然動けると思うぜ」
「ありがとうございます、でもユーリさんどうしてそんなに元気なのですか」
「そりゃあ普段から鍛えてるしなー。でも、久しぶりに思いっきり体動かせて楽しかったよ」
「それは良かったです。わたしは明日の筋肉痛を想像するだけで怖いです……」
「ま、それも稽古の一環だな」

へろへろでソファーにうな垂れているを見て何か企んでいるかのようにフッと笑うと窓の方へ移動するユーリ。
もう帰るのかとが体を起こして見送ろうとするがユーリがそれを制止させた。

「いいから休んでろって。必要だったら明日もちゃんと休めよー」
「はい、わかりました」
「んじゃ、俺帰るわ。またいつでも稽古しようぜ」
「はい、是非!」
「じゃ、またな」
「はい、また……」

ユーリが帰ってしまうのが寂しいからかは少し切なそうな表情を浮かべたが、ユーリがまたなと手を振ると手を振り返した。
昨日は「また来る」と言って帰ったが今日は来るとは言わないユーリに、また来てくれるのだろうかと考えてしまってとても不安になっていた。
それでもユーリを引き留める事も、なんて言葉をかけたらいいのかもわからずユーリが窓から帰っていくのをただ見つめていることしか出来なかった。

ユーリの足音すら聞こえなくなってしまうと、はまた再びソファーにうな垂れた。
(次はいつ来てくれるんだろう……)
そんな事を考えながら目を閉じて、いつの間にか眠ってしまった。

様、夕食をお持ちいたしました」

が目を覚ましたのは騎士が夕食を運んで来た時だった。
よほど疲れていたのかぐっすりと眠ってしまい、また騎士をこの部屋まで来させてしまった。
慌てて起きてドアを開けようとソファーから立ち上がると既に筋肉痛になってしまった体が思っていたように動かずよろけてしまい、テーブルに寄りかかってしまった。
部屋の中から倒れたような音がしたからか騎士が外で「どうかされましたか?」と心配そうに聞いてきたのに対して「大丈夫です、寝起きでよろけてしまいました」と咄嗟に部屋の中から外へ声を投げた。
すると、コンッと音がして何か落としてしまったかとが下を覗き込むと思わずその場で目を見開いて固まってしまった。

「これ、ユーリさんの……」

落ちたものを恐る恐る拾ったは自分の頭で鐘が鳴らされている位衝撃を受けたような顔をしていた。
なんと、稽古前にユーリが外した武醒魔導器がそのままテーブルに置きっぱなしにされていたのだ。
どうしようどうしようとユーリの武醒魔導器を見つめていたが、外からを心配する声がしていい加減夕食に向かわねばと一旦テーブルにそれを置いた。
すぐに部屋の扉を開けて呼びに来てくれた騎士と共に夕食が準備されている部屋へと向かった。
(大事なものだし、きっと取りに来るはず……流石に忘れていることに気が付きますよね。気が付いてくれますように!)
は唯々ユーリが気が付いてくれることを祈った。

一方ユーリは屋敷から帰って宿屋の店番を頼まれ、カウンターに仏教面で座っていた。
いつもより軽くなった左手首を意識的に動かす。
(武醒魔導器つけてないとスゲー軽いな……)
とぼんやりとそんなことを考えながらいつもと違う感覚を味わう。

ユーリはわざとの屋敷に武醒魔導器を忘れていた。
はもう気付いた頃だろうか。
忘れていった武醒魔導器を見つけて慌てふためくの顔が頭に浮かんで思わず顔が綻びる。
「ユーリさんに会いに行く理由がありません……」
昼間そう言っていたに、理由があれば本当に会いに来るのかちょっとした実験のつもりだった。
今日ユーリが2階から落ちても建物から出て来ようとしなかったのだから、本当に家の人の言いつけを破るのが嫌なのだろう。
数日経っても返しに来なかったら自分で取りに行こうと最初から決めている。
が言うようにユーリもに会いに行く明確な理由が欲しかったのかもしれない。
確かにの言う通り、のような貴族が下町に住んでるユーリの所に用もなく訪ねてくるなんて周りからそういう目で見られるに違いない。
はそう思われるのが嫌だったのだろうか、貴族なんだから婚約者がいて変な噂が流れるのが嫌なのだろうか……。
ユーリが無意識のうちにの事を考えていることに自分自身でも気づいていない。

魔導器を持ってくるだろうか、持ってきたときはなんて声をかけようか、持ってこなかったときはなんて言ってやろうか。
そんな事を考えながらユーリはニヤリと楽しそうに笑った。

(2017/06/03)

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