「………ネジ、様?」
「っ!…、気分はどうだ?」
目が覚めたら何故か布団に寝ている自分に一瞬何があったのか理解するまで時間がかかった。
ずっとついてくれていたのであろうネジに呼びかけてみると彼は安心したような、優しい笑顔を向けてくれる。
が寝ていた体を起こすとボーっとしている彼女の額にひんやりとした手が当てられる。
その手の体温が心地いいのか彼女はゆっくりと目を閉じた。
そんなを見て額にあった手は彼女の頭をくしゃりと撫でた。
「まだ少し、熱があるな。すまない、気づいてやることが出来なくて…」
「そんな!こちらこそ、ご迷惑をおかけしてしまいすいません…」
「無理させてしまったな、熱が下がるまで仕事は禁止だ」
ネジの言葉に何か言いたそうな顔をしたが、彼女は素直に返事をした。
「オレはこれからヒアシ様のところに行ってくる。はちゃんと寝てるんだぞ」
「はい」
きっとヒアシへの用事はが起きるまでは行かないと決めていたのだと、彼女はすぐにわかった。
こうして自分が目覚めてすぐに出かけるということはきっと大事な用事なんだということも。
ネジが部屋を出ていくのを見送ってまた布団に横になる。
物音ひとつとしなくなった部屋で彼女はまたゆっくりと瞼を下ろした。
* * * * *
「ネジから熱で倒れたと聞いたが、もう動いてもいいのか?」
「はいっ、今朝はすっかり熱も下がったのでもう大丈夫です」
彼女の仕事は宗家の花の水やりから始まる。
毎朝花瓶の水や時々花を換えたりしている。
今朝はまだ花瓶の中の花は生き生きと咲き誇っているので水を換えるだけだ。
流し台で花瓶から花を取り出していると、ヒアシに声をかけられる。
いつも誰かしらに声をかけられるが、今日は少し珍しいかもしれない。
ヒアシは元気そうに笑ったを見て少し表情を緩ませる。
「…………ネジに婚約者ができるとはな。これから忙しくなるだろう」
は耳から入ってきた言葉に止まった。
文字通り、彼女の中ですべてが停止した。
やっと動いたと思ったらさっきまであんなに笑顔だったのが急に悲しそうな表情になる。
そんな彼女の変わりようにヒアシは少し驚き、そしてネジが彼女にまだ何も言っていないことを悟った。
「ネジから何も聞いていないのか……。」
「…ネジ様が………婚、約?」
「ああそうだ。詳しいことは本人から聞くといい」
それだけ言うとヒアシは部屋を出て行ってしまった。
残されたは茫然と佇んでいることしかできなかった。
そして、なんだか笑えるくらいに頭の中に響いた声にどうしようもなく泣きたくなった。
いつかはこうなると覚悟していた。
それでも傍に居たいと思っていた筈なのに…。
一瞬で頭に浮かんだあの優しい笑顔。
でも、それが向けられているのは自分ではない誰か―――
勝手に映ったその光景に激しい劣等感が押し寄せる。
やっぱり、私ではダメだったのだ―――と。
「ちゃん、おはよう」
いつからいたのか、気づかないうちに隣りにヒナタが居てに笑顔を向けていた。
「おはようございます、ヒナタ様」
「………ちゃん元気、ない?まだ具合悪いの?」
「そんなことありませんよ、少し考え事をしていたのです」
「…あんまり考えすぎちゃダメだよ?ちゃんすぐ暴走しちゃうから」
「し、しません!もう……。そんなことよりヒナタ様!ネジ様がご婚約されたそうなのです!」
「えっ!?婚約っ?ほ、ホントに?」
「はい、先ほどヒアシ様が………」
ネジの婚約と聞いてヒナタは嬉しそうに笑った。
そうだ、私もこんな風に笑って祝福してあげなければならないんだとヒナタを見つめる。
「おめでとう!」
「それは、ネジ様に言ってあげてください。ところで、ヒナタ様はネジ様のお相手の方をご存じなのですか?」
「……………え?あれ?ネジ兄さんから何も聞いてないの?」
「えっと、はい。その台詞、先ほどヒアシ様にも言われてしまいました…。私はまだ何も………」
「じゃ、じゃあネジ兄さんに聞いたほうがいいよ。きっと、話してくれるから」
「はい。それでは朝食の準備があるので私はこれで」
ヒアシ同様、何も聞いていないと言うと何も教えようとしないヒナタに少し残念そうにその場を後にする。
そんなを思い出したようにヒナタが呼び止めた。
が振り返ると、とても優しい表情でヒナタが笑っていた。
「ネジ兄さんの婚約者はね、すっごくすっごく素敵な人だよ。私も、大好きな人」
「……そう、ですか。良かったです。そんな素敵な方がネジ様の隣に居てくれるなんて…」
自分の口からこんなことを言っているのに本心ではそんなこと全く思っていない自分が怖かった。
顔は、きちんと笑えていただろうか?
これから、そのネジの婚約者にも笑って同じことを言えるだろうか?
ネジにも………。
二人が幸せそうに笑っている風景を、私は心から祝福して見ることは出来るのだろうか……。
出来ない、出来る筈が…ない。
そうだ、これがきっと初めての感情。
自分の中の醜い、嫉妬―――――。
* * * * *
「、話がある。大切な………少し、いいか?」
朝食の片付けをしている時に、ネジに声を掛けられた。
話の内容は分かっている。
出来れば聞きたくない、と思っていてもネジがいつにもなく真剣な様子で断るにも断れない。
いつも通りを装って返事をしてネジのほうを見る。
話しづらいのか、少し沈黙が訪れた。
「ネジ様のご婚約についての、お話ですか……?」
思い切って、が話を切り出してみるとネジは驚きを隠せない表情になる。
「何故、その話を…!」
「今朝ヒアシ様が……ヒナタ様も……」
そういうとネジは頭が痛いと言わんばかりに手をあててため息をついた。
そして、何かが吹っ切れたようにまた向き直ってを見つめた。
「そのことで、話がある。もうヒアシ様には言ってある」
なんだか、嫌な予感がした。
次に言われる言葉がなんとなくわかってしまったのかもしれない。
これ以上なにも、言わないでほしい。
お願いだから、それだけは…………
「には、日向の使用人をやめてもらうことにした」
聞きたく、無かった。
一瞬視界が真っ暗になった。
それでもそれも一瞬で目の前には先ほどと変わらない光景で、これは夢でもなんでもないと言われたようだった。
「日向の使用人をやめて、オレ―――――」
まだ続いていたネジの言葉を遮るように突然家の戸が開いてバタバタと慌ただしい足音が響いた。
何かと思ったら部屋の戸が勢いよく開いて、声が響いた。
「ネジ!大変っ!至急、大至急任務!急いで支度してっ!」
「テンテンさん?」
「あ、ちゃん久しぶりね!何か話の途中だった?ごめんね、ホント急いでるの!ネジ借りてくわねっ」
「ちょっと待てテンテン、大事な話の途中だ。少し――――」
「綱手様に言われてるんだから四の五の言わずに早く来る!」
「あの、ネジ様。そのお話は、ネジ様が帰ってきてからきちんと聞きます………」
はそう言って精一杯笑ってみせたが、もちろんネジには笑っているようには見えず顔を強張らせた。
テンテンに引きずられるようにして家を後にしたが、ネジの気は重たかった。
そうだ、完全に誤解されている。
の様子からしてネジに婚約者ができたことは知らされているのだが、肝心のその婚約者が誰なのかというのは聞いていない。
それは一番に自分でいうつもりだったからよかったものの、「日向の使用人をやめてオレと婚約して欲しい」という大切な、最も大切な事を言えなかった。
自分が彼女に言ったのはまだ最初の段階説明の「日向の使用人をやめてもらうことにした」ということだけ。
これではまるで婚約者が出来たからには使用人をやめて貰いたいと言っているようなものだ。
いや、そういう風にとられている。絶対に。
先ほどの彼女の表情からして誤解されているのは明白だ。
「………テンテン、今日の任務……1時間で終わらせるぞ」
「はっ!?ちょっと、何言ってるのよ!ネジ、どうしたの?リーやガイ先生がうつった………?」
「やると言ったらやる。行くぞ」
「嘘、ちょっと………ネジまで熱血仲間入りしちゃったら私はどうなるのよ………」
今更戻ってもきっと話を聞いてもらえるどろこか、怒って任務にいかされるだけだろう。
もしかしたら、いま、泣いているかもしれない。
逆に日向を出ていく決心をつけてしまうかもしれない……。
一刻も早く、戻って伝えなければ…いけない。
愛おしい、傍にいてくれるだけでは満足できないくらいに――――
だた、それだけのことを